「哲学人上下」ブライアン・マギー著 アウトサイダーだから書けた哲学の本流 

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この夏はこの2冊を読んで過ごした。画期的な哲学解説番組を担当するなど放送人としても有名な人であったためであろう。一般人に難しい哲学思想を言葉を変え繰り返し丁寧に、そのことによってわかりやすく解き明かし、しかし程度を落とさずに語る能力を持った稀有の人だったと思う。実際カント哲学については、日本の専門学者が書いた解説書より先にこれを読んだ方が、問題点も含めてよく理解できるだろう。

自分をアマチャアの哲学者だと称しているが、これはネガティブな意味ではない。著者は経験論哲学の中枢、オックスフォードの教師を務めたこともある。そこで当時正統派として君臨していたのが、いわゆる「オックスフォード哲学」の名で呼ばれる論理実証主義、そして言語分析の哲学であった。著者はこれを当時の大陸哲学と同様、哲学の正道を外れ瑣末化した流行現象として切って落とす。日本の哲学の流行も周回遅れでこの線をなぞっている。それが結果的に、オークスフォードの中で教授職を安定化するための成功モデルになって行った経緯が、基本的に学界のアウトサイダーである著者の視点を通して浮き彫りにされている。

カントの後を次ぐ哲学者としてショーペンハウアーを大きく取り上げているが、これについてはまだ著者の考えがすっかり分かっていないので、そしてこれからの私の生き方にも関わってくるところなので、第一資料である「意志と表象としての世界」を片手に読み返しが必要と感じている。

ショーペンハウアーについては、その人となりが分かる面白いエピソードが書かれているので紹介しておこう。彼は晩年になってようやく大学(ベルリン大学)に職を得た。そこにはかのへーゲルが講座を持っていて、学生に大人気だったが、彼はなんとその講座と同じ時間にあえて自分の講義の時間をぶつけたのだ。その理由は、ヘーゲルがカントが切り拓いた道筋(現象と物自体を区別したこと)を否定し、カントの業績を無駄にしたのみならず、レトリックで飾られた疑似的な深遠さで若者に有害な影響を与えることを危惧していたからである。

ショーペンハウアーヘーゲルに対して発した悪態が面白い。「陳腐で、空虚な、胸の悪くなるほど不快で物を知らない詐欺師であり‥…狂気じみたナンセンスの体系は、欲得づくの信奉者たちによって不滅の知恵として方々に吹聴された‥‥」。しかし、その結果は惨敗だった。彼の講座に出るものは一人もおらず、せっかく得た大学教師のキャリアもそこで尽きることになった。

著者と同様、ショーペンハウアーの非難したと同様の曖昧さが、哲学をビジネスとする者のうちに今もあることを残念に思う。