峠の茶屋 ヨネジーの覚書

峠の茶屋でのゆっくり一服どころか、茶漬けを掻き込んで次の目的地に向かう飛脚さながらの人生。90パーセントがカスかもしれないけど(娘に言わせりゃ100%カス)息が続く限り書き続けていきます。

素晴らしきモスキートハンター

リスクゼロの崇高な目的に燃える頼もしいプロフェショナルたち。ここまでやれば、疫病を媒介する蚊も完全撲滅できるかも知れない。安心安全を追い求めた末、今この冗談がマトモなことになっている。

「人間にはだれにも七つの穴があって、それで見たり聞いたり食べたり息をしたりしているが、このコントンだけにはそれがない。これでは可哀想だ。その穴をあけてあげよう、というわけで七日かかって穴を開けて行ったがコントンは死んでしまった」。高校の漢文で習った有名な荘子の寓話を思い出す。

今、自然を数値でコントロールできると考えている、善意の専門家たちの提言でなされていることも、似たようなことだ。結果は、まず飲食業と観光業を息絶え絶えにしてしまった。日本経済全体を撲滅するようなことにならなければ良いが。

コロナが騒ぎ出す前、たまたま書棚にあるのを見つけて手にとった石川淳の全集の一冊、終戦直後の焼け野原で展開する諸短編(「黄金伝説」「焼跡のイエス」「かよい小町」など)を読んでいた。作者自身と思われる江戸から西洋まで幅広い文学の教養は持っているものの、役立たずのインテリ小説家以外には、娼婦と孤児ぐらいしか出てこない、基本、貧困と病気と飢餓の話だ。しかし、こういう環境でこそ露わにされる魂が白眉だ。一方で、前に書いたアラジンのランプの話が、コロナを予見していたとしたら、これら小説はこれから起こる破滅的な経済状況をなんとなく指し示しているようで、今はとても嫌な感じがする。

そうはなってほしくない。しかし、今まで起きていることが、戦争中に起こった事柄を別の形でなぞっているようで、驚くほど相似形であるとしたら、最後の結末だけ違うというのは、かえっておかしな話のようにも思える。戦後、膨大な戦時国債は、ハイパーインフレが起こってチャラになった。しかし、当時日本人の大方には、何もなくとも、将来への希望と夢と有り余るエネルギーだけはあった。今と比べて犯罪率も格段に高かったが、凄まじい勢いで奇跡の復興をしたのはご承知の通りだ。

さて今はどうか。安心安全の理想を掲げる福祉思想で骨抜きにされて、たくさんの老人を抱え(これからもどんどん増えていく)、さらに駄目押しのように起こった、「ケンちゃん」風邪がひたすら怖いで、今、他のリスクはまったく考えず笑止な自粛指示に諾々と従う、優等生の日本人に、それが可能か。かつて「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」というコピーがあったが、今こそたくましい日本人よ甦れと願うのだが。

かつてはなぜだろうと思っていたが、「ヨハネの黙示録」で第二の死を迎える救われない者の筆頭に、殺人者、姦淫する者、嘘つきなどではなく、なんと「おくびょうな者」が置かれている意味がよく分かる。

 

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ちなみに、ここに取り上げた1969年から始まったBBCテレビ番組「空飛ぶモンティパイソン」のまねをして、日本では1971年日テレ系で巨泉×前武ゲバゲバ90分!が作られた。コメディの分野でも、今なら放映禁止になるであろう、キツイ皮肉を短い笑劇にまぶしたポップカルチャー全盛の時代だった。

 
(参考)ヨハネの黙示録/ 21章 08節
しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である。」