歩き続ける夢の果てに

知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。(荘子胡蝶の夢」より)

移動している夢を反復的に見る。閑散とした郊外の街を車で走り回っていたかと思うと、いつのまにか建物が両脇に覆いかぶさるように立ち並ぶ細い横丁を歩き回っている。
二十歳前後上京した当初も、東京都内を友人とあるいは一人でよく歩いた。「書を捨てて街へ出よう」というタイトルの寺山修司の映画が物語る世の気分があった。変化のエネルギーが街を沸騰させていた。多くの若者を無闇に夢見させ、繰り返し歩き続けさせる磁力を当時の街は持っていた。
仕事に就いて、そのような熱気は瞬く間に過去のこととなった。街は小綺麗になったがどんどん詰まらなくなっていった。三十代になって、ようやく海外旅行が手の届くものになったことに後押しされ、唐突に海外に飛び立つ。それも一週間だけのパリ旅行。まだ暗いうちに空港に着き、バスに乗り込み、街で夜明けを迎えた。第三帝政時代から変わらない古びた建物の黒い影が両側にびっしり続く中を進んでいく。不夜城のような日本の街と違いパリの街は暗く沈んでいる。しかし、窓越しに見える風景は夜明けの微光に包まれ徐々に白み始め、まるで起きがけに見る夢の中に分け入っていくかのようだった。その時の感動を今でも思い出す。
一人旅、それも当てもなく街をぶらつく旅をしなくなって久しい。一方で年寄りになっても未熟である証拠のように、ときおり街を彷徨う夢を見る。普通に考えれば、それらの夢はかつての旅のエモーションが風景や出来事とともに心の深いところに蓄積していて、夢の追憶の中で変形されて出てきたものだろう。現実の一人旅の体験も時を経てもはや夢と変わらないものになってしまっていることに気づく。
さて、最近見た夢について記述しておこう。廃坑の跡を経巡っている夢だった。何の目的でそこにいるのか分からない。廃坑の再開発でできたとおぼしき商店街。様々な街の断片が脈絡なく目に入ってくる。しかし、猥雑ではない。かって見たパリのパサージュのように静寂が支配している。
やがて街並みは消え去り、地底の紫の光に包まれ、得体の知れない巨大な動物を飼っているゾーンに出た。奇妙な動物たちはなだらかな丘陵に生息しているので高い塀越しにも見ることができた。湯気や噴煙が上がっている様を見て、これらの動物は廃坑の地熱を利用して飼われているに違いないと思った。
ようやく廃坑の出口と思しき場所に出た。そこには駅舎のような建物があって、それが黒々と庇を伸ばしている先には青空が覗き、人間の気配がする停車場のようなものが見えた。
ようやく地上に戻れるなと安堵の思いでいると、大事なものがないことに気づく。財布だったのか、車のキーだったのか、どこで落としたのか。もう一度迷路のような廃坑の中を戻って探し出すのはまったく不可能なことに焦っている自分がいる。出口近くに置かれた腹話術で使われるような不細工な人形が、その姿をどこか小馬鹿にした表情で見ている。もはや家には戻る手立てがないと気づいて、悲しくなった。モウ、コンナトンデモナイコトハ、ユメニシテシマオウと忽然と思う。と、目が覚めた‥‥。
たいていの夢は強まる一方の「老人力」がたやすく打ち壊してしまうぐらい儚いものだ。トイレが見つからずこれは夢だと気づく目覚めはよくある。しかし、この夢はちょっと違ったので、いい機会だから将来のために(なんの将来か分からないが)文章に直してみた。
夢を見てそれを解釈しようとするのは、自分の力で世界の意味をつかもうとするのと同じ人間の性の一つだろう。俗流フロイト主義者は性的なものに結びつけて簡単に図式化した結論めいたことを言う。この一筋縄ではいかないお題の参考にと読みなおしたガストン・バシュラールの著作(「空と夢」)からは、先行する理屈ではなく夢の事象が創り出す豊かなイメージの生成力に委ねよという示唆を受けた。いづれ誰一人例外なく夢か現実か区別できない世界に入っていく。それが所詮我々の脳髄の断末魔だというのは、それでビジネスモデルを作らざる得ない医者に任せればよい。われわれは約束やこだわりを離れて、現世という夢も含めて、夢の種子を慈しみつつ、そこに秘められた意味がほんとうに開示されるその時を楽しみに待つようでありたいと思う。