2018 Britain's Got Talent 期待のイリュージョンマジック

Brexit以後のムードを反映して最近は沈滞気味かなと思うことの方が多くなったBritain's Got Talentだが、このマジックショーには久しぶり驚かされた。マジックとしてのしかけだけでなく、ビザールなストーリー展開、スタッフの演技、コスチュームなどアリーシャの言うように超一流の出来栄えで次回が楽しみだ。グループの名はMagus Utopia。覚えておこう。

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吉本隆明1968 鹿島茂

吉本に関する本はもう読むまいと思っていたが、書店でついつい手にとって立ち読みするうちに、もっとしっかり読みたくなって買ってしまった。吉本には、1971年に大学に入学したときに初めてふれた。もう全共闘運動は下火で中心はセクトの政治目標に従ったスケジュール闘争に移りつつあった。しかし、まだ高揚した気分は残っていて、クラス内でもときどき討論集会がもたれた。

そんなとき都会で高校時代を過ごした級友たちから出てくるのが吉本のキーワードで、「擬制の終焉」「異端と正系」と言った漢文調の硬質のタイトルが、地方の高校出の自分にはいかにもカッコよく聞こえた。それで下宿の貧しい書棚にも吉本の著作集が並ぶことになった。しかしいざ「共同幻想論」や「言語にとって美とは何か」から読み始めてもまったく歯が立たない。最初の数ページでいつも挫折してしまう。だからそれらは将来目標にしてもっぱら読んだのは、全集の中の短い文学論や政治論を集めた1、2冊だった。よく知られた作家や評論家を見事に切り捨ててみせる、詩人ならではの切れ味の良い喧嘩言葉に酔っていただけだと思う。

吉本は卒業後も折に触れて読み続けていた。バブル時代に入り、一億総中流などという言葉が世に当たり前のように受け入れられていた。実際には決して豊かではなかったが、将来は今よりきっと良くなると誰もが信じられる時代だった。その偽装された豊かさの中でもう政治の季節はすっかり終わっていた。でも吉本は次々生起する出来事についてはどう言っているのだろうと気になって、書店に入っても一番最初に手に取るのは吉本の新刊だった。吉本の批評の対象は、流行のポストモダンの思想家からファッションまで大衆社会の諸相に及んで、やはり詩的な言語による切れ味の鋭さに酔う自分がいた。糊口のために気に染まぬ、泥沼のような仕事に毎日浸かっていても、考えや心まで巻き込まれずに世間から自立して生きていきたいという意志をときどきに再確認するための羅針盤のような存在だった。

この本は吉本読みのばくぜんとした歴史にしっかりとした骨格を与えてくれた。自分にとって、これは吉本から受け取った思想だなあと確かに言えるのは「大衆の原像」しかない。吉本思想の土台となるものとして初期の著作を通して、この本で読み解いているのもこれである。難解といわれる文章の背後に貫かれているもの。共産主義運動の前衛であるインテリゲンチャと啓蒙対象であるプロレタリアという図式に典型的に見られるマルクス主義のバイアスを物の見事に解体し、作家や詩人の文学や思想の出どころをその出自によって解き明かした吉本思想の中心コンセプトを、これぐらい説得力のあるかたちで浮き彫りにした本は今までなかったと思う。著者自身が寒村の酒屋の息子だというのも、同じく根底に下町出身のアンビバレントな感情を背負った吉本自身の思想への理解を助けている。

「大衆の原像」論は、経験を重ねるうちに、誰もが自然に気づかさられ了解可能となる課題だと思う。文卒のダメじいさんもコピーライターのような、望んでもなかった仕事をたよりに生きていかざる得なくなって、この「大衆の原像」という言葉の意味するところが身にしみてわかった。だが、「どんな大衆の生活も、『前衛』党のために存在するのではなく、それ自身のために存在している。この単純な客観的真理は、『党』の亡霊が横行するところ、『党』員の脳髄が過熱するところでは、しだいに影がうすくなる」という常識が通じくなってしまう世界が今も確かにあるのである。自分は頭がいいから人を導く側の人間だと思っている人ほど、見事にこのドツボにはまる。

それはなぜか。そこには「知の遠方指向性」があると吉本は言う。どのような知も現実から離れた抽象化の道をたどり、発展を続け擬似客観世界をかたちづくる自然過程を宿命的に持っているというのだ。生活の座を無視してどのような有効な知もないという単純なことなのだが、逆にそこから離れば離れるほど知は純化され正しいものになるという宗教性を帯びてくる。普通は社会に出ると粉微塵にされる態のものだが、アカデミズムの世界のような特殊な場では、社会経験のない学生という名のフォロワーを次々獲得して、この高等詐欺とでも言ったら良いようなビジネスモデルは決して途絶えることがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横丁で見つけたインドの紅茶

まちのコンビニの店員のほとんどはいつのまにか、ネパール人やカンボジア人やベトナム人になってしまっている。「いらっしゃいませ」と笑顔で商品を袋に入れ、レジを打つ彼らは、日本ではどのような生活を送っているのだろうか。先般マスコミを騒がせた大相撲騒動で「国技」に根をはるモンゴルコミュニティが明るみに出されたが、彼らも自分たちの暮らしを守るため同じようなマイナーコミュニテイをすでにあちこちに形成しているのだろう。東京など大都市には村社会を絵に描いたような県人会といった組織があるが、国際化の中でその社会類型に異国人が加わったとしてもおかしくない。アジアの端っこに弓なりに国土を形作って、古代からもともと多様な民族の渡来を受け入れ続けて来た国である。先住の小集団同士をつなぐゆるいつながりのルールを身につけて、融和的な新しい小集団となっていけばいい。

先週パートに行くつもりでバスに乗って、うららかな春の到来を感じさせるような陽気だったので、いつも降りる停留所より2つばかり早く降りて目的地まで歩くことにした。藩政時代の寺町である。かってはお寺の伽藍をとりまく雑木林の中に墓所や焼き場があったところで、昔は穏坊と呼ばれた人たちが住んでいた。今は新建材の家が立ち並ぶ住宅街に変わったが、染み付いた土地の貧相な風情はなかなか消えないものだと思いながら、入り組んだ道を歩いていると、こんな奥まったところにと思うような場所にぽつんと商店があった。看板を見ると大きな手書き文字で「ハラル」と書いてある。なんとイスラム教の戒律に基づいたハラル食の食材を扱うお店だった。こういう特殊な店の需要があるくらい深く広く、彼らアジアから来た外国人はすでに重要な労働力として日本社会に浸透しているのだろう。

前に家に呼んで食事を共にしたネパール人がおみやげとして持ってきた紅茶がちょうど切れていることに気づいた。中に入り「紅茶はありませんか」と言って雑然とした店内を見渡すと、店番をしていた浅黒い顔の老人が品物の棚を指し示し、たどたどしい言葉で商品の説明をし始めた。残念ながら、その中には探していたネパール人の紅茶と同じ商品はなかった。老人が進めるインドとパキスタンバングラデシュの紅茶の中から、いちばん安いインド産の紅茶を選んだ。なんと250グラム、600円なり。スーパーに出回る紅茶と比べても、とても安い。しかもパートから帰ってさっそく飲んだ紅茶は、日本人の味覚に合わて気の抜けたようになったRやNの紅茶と違って、絶品だったネパールの紅茶には及ばないものの、しっかりしたフレバーのする満足のいく商品だった。

 

クロネコドライバー

今日娘が一ヶ月間温泉町に出稼ぎ労働に行くための荷物を発送した。たまたま家の前の駐車場にクロネコの大きなトラックが停まっていたので、これ幸いと持ち込んだ。運転手は女性で代車にたくさん荷物を積み込んで脇道の奥の家に運んでいるところだった。戻ってきてから荷物の大きさを図り伝票をPOSデバイスでチエックし、その場で発送料を受け取った。その間、前座席の車中からは呼び出しの電話音が頻繁に鳴っている。こういう仕事を間違いなくするのはなかなか大変だ、というのは現在、爺さん自身がパートで週2日だが寮監の仕事を始めたばかりで、若者を相手に様々な仕事、それこそ掃除から受付、メール書きまでしているから、その難儀さが分かるのだ。しかも、彼女は一人で、大型自動車の運転までしている。

毎日おたおたしているばかりの爺さんからすると驚きだ。それで思わず言ってしまった。「これだけの量の仕事をこなせるなんて、すごい能力ですね」。おそらく彼女は運動神経はもちろん、即時に判断する頭の性能がとってもいいのだ。ふだん言われたことがない褒め言葉に驚いたのだろう。一瞬動きが止まって、激務に張り詰めた男っぽい顔が緩んだように見えた。それは、本来資本主義社会ではありえないはずの、高学歴がよいポジションと安定した収入にリンクするビジネスモデルにどっぷりつかっている者には一生分からないであろう笑顔だった。掛け値なしの労働対価で生きる者がつかの間見せた充足のグリンプス。

 

保田輿重郎 「芭蕉」

この歳になって保田輿重郎を読むとは思わなかった。なぜなら保田輿重郎は、戦後平和主義の中に浸かってそれを毫も疑うことなく生きてきた我々の世代にとっては、戦前の唾棄すべき最右翼の思想家であり、カビの生えたどころか、もう土に帰って跡形もなく消え去っていて当然と思う存在だったからだ。それが、なんと今改めて読んでいる自分がいる。もちろん戦争末期に書かれたものであるから、「国の道」「民族の詩人」「民族の心もち」「国民の祈念」といった慷慨調のアナクロ愛国ワードがたくさん出てきて、最初はなんだこれはと思って辟易した。

しかし、そうした当時の時流に乗った愛国ワードを置き換えて文章の骨格をたどると、今の自分が考えていたり感じていたりするところにぴったりするところが案外多く久しぶりに引き込まれた。芭蕉についてはこれまでも何冊か読んできたと思うが、芭蕉俳諧の道を極めさせたモチベーションがわからないから、その個々の俳句についてもよく分からない結果に終わっていたのが読解の道筋が見えてきた。

保田の芭蕉論の批評的な下敷きは近代批判の体裁を取る。それを単純に西洋対日本ということにしているのは戦時中であるから宜なるかなである。しかし、保田は頻繁に取り上げる国や民族という言葉自体が、明治維新以降西洋に準拠してつくられたかれの嫌う概念的思考、近代的枠組み、本居宣長によるならば漢意(からごころ)に絡め取られてしまっているということを無視している、その点において政治的だ。矛盾したロマン主義的存在がここにある。

芭蕉が国や民族の心を求めて旅をしたというのはありえないことだ。私はだからここのところはすべて「古人の心」という表現に置き換えて読んだ。まさしく江戸時代も、保田が書くところに基づけば、西鶴上田秋成の文芸に見られるごとく、日本的な近代の中にあったのであり、芭蕉はこの風潮を良しとせず「大いなるいのち」との邂逅を求めての旅だったのである。もっともこの「大いなる」という壮士風な言葉も削除したいところだ。

芭蕉は良く泣いた人だということをこの論考で知った。彼が慟哭するほどに出会ったのは宗教的に色分けできない「神」、歴史や文化を超えた永遠なる存在なのだと思いたい。保田はドイツロマン派の文学を大学で学んだという。ドイツロマン派と限らず、ロマン主義は、結局は「神なき世界」の論、無神論から胚胎され、それと依存関係を持つ。だから苦悩=アゴニーがつきものとなる。保田は、このロマン主義の末路とは違う、自然な「神」との出会いと神のいのちを生きる「軽み」を芭蕉とその俳諧の道のうちに見い出した。