峠の茶屋 ヨネジーの覚書

峠の茶屋でのゆっくり一服どころか、茶漬けを掻き込んで次の目的地に向かう飛脚さながらの人生。90パーセントがカスかもしれないけど(娘に言わせりゃ100%カス)息が続く限り書き続けていきます。

ポール・サイモン 「ボクサー」 

誰もが知っているサイモンとガーファンクルの名曲。爺さんが最初に聞いた二人の曲は、「サウンド・オブ・サイレンス」。TBSの前田武彦(当時としては最新流行のアメリカンポップスを紹介するおしゃれな番組「シャボン玉ホリディー」のシナリオライターとしてキャリアスタートしている)がまだラジオの世界で露出することの多かった時代のことで、名前は忘れたがコンビの女子アナと軽妙なやりとりをしながら、洋物ポップスを紹介する番組の中であった。

ビルボード・キャッシュ・ボックス」ににわかに新登場の有望株の曲として紹介されたのがこの曲。前武がこれは変な題名だけど「沈黙の響き」とでも訳すのかしら、といったのを覚えているような気がする。他の曲名と比べて、なんとなく通好みのインテリくさい匂いがあった。ちなみにうちにはその時に買ったこの曲の国内版のドーナツ盤がある。ニューヨークの地下鉄のプラットフォームに佇む二人の薄ぼんやりした表の写真がまだマイナー感を漂わせていた。

それがこの曲のヒットでアメリカはもちろん日本でもめきめきと人気を博して、さらに「ミセス・ロビンソン」など彼らの曲が映画「卒業」の中で使われるに及んで、押しも押されぬヒットメーカーとなって行ったのだと思う。

さて、この「ボクサー」は、1969年シングル曲として発表された。1970年発表のアルバム「明日にかける橋」に収録されたが、その前から日本でも大ヒットしていた。ノリの良い曲だからパチンコ屋でもどこでもかかるようになって急速に大衆化した思う。爺さんが受験のため70年冬に上京し、高校の同級生の親戚の家(アパート経営をしていたので部屋がたくさんあった)に、3〜4人のクラスメートと何日か6畳一部屋にごろ寝状態でお世話になって東京の私大を受け続けた。

それが終わっての開放感もあって仲間と新宿に繰り出した。西武新宿線の駅の近くでカオスの街歌舞伎町も場末の方だったと思う。(そう言えばこの辺りには、母親が上京してきた時によく一緒に食事をとった「キッチン」という洋食屋があった。)仲間と歩いていると裏通りに「暗黒舞踏団」の名を冠した怪しげな公演看板があった。皆んな興味をそそられフラフラと暗い室内に入った。するとなんとスポットライトの当たった舞台では、全身白塗りの全裸に近い何人かの女性が一列に並び、腰を低く落とし白目をむいて踊りを踊っているではないか。

多少この種のアングラには免疫がある自分と比べて、真面目な予備校生の仲間たちには随分とショックだったと思う。その時踊りのバックに流れていたのがこのボクサーだった。だから、「ボクサー」というと、長い間どうしてもこの踊りとセットで思い出してしまう曲だった。

しかし、今晩年のサイモンが歌う「ボクサー」は、この時の賑やかな青春ギラギラのボクサーとは違う。アコースティックギター一本で低く歌い出されるボクサーは、まるで日本の小唄のようだが、ハイドパークに集まった大聴衆を一つの感慨へと誘う静かな力を持った曲に変わった。サイモンもいい年の取り方をしていて、自分もこんな風な瞳の澄んだ爺さんになって、いい枯れかたができたらと思う。ニューヨークハイドパークでの演奏の8年ぐらい前のパリ公演での演奏も載せておこう。八百屋の爺さんのような自然体と気取らない服装がいい。どっちがいいとは言えないが、声はこちらの方がまだ張りがある。

 コロナ狂騒曲の中、今ロックダウンしている両巨大都市での演奏、どちらも何度も聞いても心にしみて飽きないし、これが我々が憧れとともに多大な影響を受けてきた都市文明への挽歌のように聞こえ、しみじみとして、なぜか泣けてくる。

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