峠の茶屋 ヨネジーの覚書

峠の茶屋でのゆっくり一服どころか、茶漬けを掻き込んで次の目的地に向かう飛脚さながらの人生。90パーセントがカスかもしれないけど(娘に言わせりゃ100%カス)息が続く限り書き続けていきます。

「かさぶた」としての日本の「近代」

昔からなぜ江戸時代を近世と呼ぶのか気になっていた。本当は近代と呼んでいいと思うのだが、欧米の定義には当てはまらないので、近世と呼んでいるのだろう。さらにそうした欧米にオーソライズされた基準を使いながら、明治を江戸と明確に区別したいというバイアスが強烈に働いている。

しかし、国のメインストリームにいて、それで自らエスタブリッシュメントとしてのビジネスモデルを作ろうという人(最もピュアな気持ちでいる人もいるだろうが)はそれでいいのだろうが、大方の庶民はそれに違和感を持ちつつも、「ざんぎり頭を叩いて見れば文明化開花の音がする」などと戯れ歌を歌いつつ表層では時勢に合わせていくそぶりを見せねばならない。

それを問題視するのはエリート層に座るだけの頭脳を持ちながら、そこからずれてしまった孤独なアウトサイダーということになる。誰でも知っている人物をあげれば「夏目漱石」が典型だろう。英国への留学体験を持つ彼はこの明治の嘘に早くから気づく頭を持っていたが、出口なき違和感を克服できない課題として胃病を患いつつぐだぐだと問い続けるばかりだったということだろうか。

それは一種のカサブタだった。カサブタだから怪我が癒えると自然に落ちてしまう。しかし、カサブタのときに作られたインチキの制度や体制ではどうにもならない。だから最終的には露出した第一古層である江戸は、外圧で大きな傷を負うことになる。戦後も別の意味でのカサブタだった。だが戦争の傷の上に出来たカサブタもそろそろ賞味期限を迎えつつある。

だからと言って日本独自の実によく出来た江戸の近代システムに戻るかというと無理な話だ。安易にそう言う人も知識人の中にもいるが愚かだと思う。開府当時はさておき、やがて何度も飢饉に襲われへろへろな経済状態になって大政奉還しなければならなくなった現実が分かっているのだろうか。

江戸時代は、西洋諸国と同様、しかしよりシステマチックに宗教的本質を脱色し、慣習化する中で生まれたものだ。理神論に基づく(だから鬼神のことは問わずを前提とした儒教が主軸になった)人間の知恵の働きによって保たれた社会だ。それも西洋とは違うまったくの独自のシステムが機能していたのには驚かされる。

その点、明治や昭和はカサブタだ。そのインチキはやがて通用しなくなるが、さてその次はとなると誰も描けない。これは欧米も実は同じで、我々は本当はそうした深刻な状態、いわばヒューマニズムの終わりの状態に生きている。そろそろ放蕩息子は神に大政奉還すべきなのだろうか。

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大正時代の雑誌より「銀座のカフェ」田舎娘のあこがれ。