峠の茶屋 ヨネジーの覚書

峠の茶屋でのゆっくり一服どころか、茶漬けを掻き込んで次の目的地に向かう飛脚さながらの人生。90パーセントがカスかもしれないけど(娘に言わせりゃ100%カス)息が続く限り書き続けていきます。

今日も世界ではシュールな出来事が起こってる。

ボーイフレンドのアパートを初めて訪れた女性が出会ったとんでもない出来事。ささいなことが大事となって消防士まで出動するまでの大騒ぎ、ギャグ漫画のようなことと成った。もっともボーイフレンドがソーシャルメディアに載せてファンドをつのったおかげで十分その費用はペイできて、さらに関係団体に寄付までできて、めでたしめでたしとなったようだが。

絶対既製のメディアでは配信されることがなかったこういう他国の三面記事的エピソードにまで、インターネットを通して日常的に簡単に触れられる効果というのは案外大きいと思う。こういうネット空間に無数に転がっている三面記事やユーチューバー動画は確かにロクでもないものもたくさんあるが、今まで書物を通してしか知りえなかった西洋事情の情報や知識なぞ、西洋知識人と同レベルと思い込んでいる、田舎者の産物であり、エリート意識を隠した一面的なカテゴライズでしかないことがよく分かるようになった。

それはトランプの出現に驚くアメリカの内情とも通じていて、今まで隠れていたもの言わぬ民の声が、吉本隆明の好きな言葉を使えば「大衆の原像」がにわかに表に出てきてしまって、エリートの偽善を暴きつつ、政治情勢も左右することとなったのだ。それをポピュリズムやナチズムという揶揄的視点でしか表し得ないのは、アリストクラシーと化した既得権者の自己批評を欠いた、怠慢で情けない意見だ。

話が飛んでしまったが、こういう記事を読むと、頭で形づくった高尚な思想や観念(それがどれだけ人間に悲惨をもたらしているか)をひっぺがすと人間の実情はどこでも同じだなと思う。世界平和なんて言うのも、実は知識人が絶対語らないこのろくでもない、ばかばかしい場所から始めなければならない。