今年のXfactorUKもいよいよ大詰め。思いとは違った結果に。

久しぶりにXfactorをチエックしたら、自分が推していた人たちはほとんど落ちていた。しかし、残った顔ぶれを見ると納得するところは多い。まず今年一番と思っていたShanaya Atkinson-Jonesは遥か前の「6席争奪」の時点で落ちていた。その前の時点で危惧していた音程のずれが露骨に出て、またそれを補うべき持ち味のディープなエモーションも空回りしていた。誰が聞いてもこりゃ仕方がないという内容だった。残念!

しかし、もうひとりの期待のコンテスタントGrace Daviesは、何回かのライブショーをこなしてファイナルを迎えるまでになっていた。ピュアな内面感情の表出を、オリジナルな曲と詞、そして全くユニークなクセの強い歌唱法によって、ここまで認めさせるとは大したものだ。

次に残念なのはセミファイナルのセカンドステージで、Lloyd MaceyとThe Cutkelvinsが消えたこと。確かにRak-SuやKevin Davy Whiteは、歌唱力もテクニックも安定性が高く、迫力もあって、誰もが納得の実力の持ち主たちなのだが、そしてその点がイングランド都市部のファンから圧倒的な投票数を稼いだ理由だろうが、どこか心にがつんと来る新鮮なものがなくてステレオタイプでものたりない感じがした。とりわけKevin Davy Whiteのジミーヘンドリックス。ノイズのない=魂のないジミヘンなんていくら上手でも塩抜きの漬物のようだよ。せめて下町のパリジャンならシャンソンの泥臭いサビを効かせてほしかった。

メロウな美声のLloydはウェールズ出身、一方の2人兄弟と妹からなるThe Cutkelvinsはスコットランド出身。地方に保存されている繊細な感性や魂、いい意味でのローカリティが、新しきものを求めてやまないミュージックインダストリーの沸騰するパワーに押されて、結局は敗退してしまったという世界中で蔓延している結果の写し絵のようで、ちょっとがっかりの結果でもあった。しかし、The Cutkelvinsの上品さを秘めた今風のファッションセンスは、最初に惹かれた要素だったが、流行の最先端を意識しすぎる地方都市であるがゆえのセンス(渋谷でクールに決めているのは地方出身者というのと同じ)という感がしなくもない。また、妹の歌唱力がどこか弱々しい感じだったので、当然の結果だったのだろう。

その後ファイナル1でKevin Davy Whiteが消え、ファイナル2はRak-SuとGrace Daviesの一騎打ちとなった。自分としてはGrace Daviesのエキセントリックとしてしか現れようがないピュアな個性に期待していたが‥‥

 

さて最終結果発表。Rak-suの圧倒的勝利。ラストパーフォーマンスを見ると一般大衆の選択の正しさを認めざる得ない。このグループの爆発的元気は、イングランドムスリム国、アフリカの多人種が寄り集まったダイバシティから生まれてきたもの。従来のボーイズバンドの範疇にはくくれない全く新しい力を感じる。ユーロ離脱Brexitという閉じこもりを選択したイギリスへNONを突きつける、グローバル都市ロンドンのアマルガムからの強烈なカウンターパンチとでも言ったら良いか。それが最後の最後、Rak-suのパーフォーマンス(ハーモニー、ダンステクニック、バランスなど、すべてに抜きん出ている)に否が応でも注視せざる得なくなって見えてきたことだった。Grace Daviesの演出はこのパワーに負けまいとするかのように、バックダンサーの集団をこれでもかと投入したが、それが返って裏目に出て、心深く静かに訴えるGrace の個性を殺す結果になっていた。

しかし、最後に付け加えたい。Grace is a far superior addition to the world's music. Graceは、Rak-suのような万人に受ける要素はないかもしれないが、アーティストとしての道を歩み、新たなジャンルをつくる力を持っている。

 

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「2017XファクターUK」期待のひとり

ゴット・タレントといっしょに毎年チエックしているXファクター。まだ4人の審査委員の前で歌って彼らのボートで決める最初の段階だが、今年の応募者は例年より期待できそうだ。その中でもこの女性Shanaya Atkinson-Jones(19)は歌がうまいだけではない、魂の深いところから出ているようなディープな声質を持っている点で、他に抜きん出ていると思う。小さいときに養子に出されたという辛い過去が背景にあるのかもしれない。唯一のライバルは切実な感情を織り込んだオリジナル曲を持って臨んだ女性Grace Davies(20)かなあと思っている。それにしても近年はみんな若い。

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 さて後日談。残念ながらShanaya は6チェアーを奪い合うステップで

あえなく消えた。音程はくずれるは、エモーションも空回りして、ひどい出来であった。残りたいとの欲が、彼女の唯一の持ち味であった魂から出ているような歌声の魅力をまったく消し去っていた。

一方のグレースは、オリジナル曲を次々披露してライブショーの3回まで勝ち残っている。次は彼女に期待するか。

足軽の住んだまち

私の今住んでいるところはかって足軽が住んだ町である。江戸初期の地図を見ると、うなぎの寝床のような間口の狭い土地が袋状の土地を綺麗に割って配置されている。当時の建物は全く残ってないが、土地形態にその面影が残っているところがあり、わずかに当時を偲ばせるよすがとなっている。戦乱の世が終わり、ここに移ってきた殿様がそれまでついて来た足軽に褒賞として与えた土地である。殿様としてみれば今まで苦しい中ついて来た、足軽といえ忠義な家臣を解雇することはできなかったのであろう。

しかし、おそらく平和な世にあっては余剰人員だったはずだから、足軽に与えられたのは最低の扶持であっただろう。足りない分は各々果樹を植え、畑をつくって賄うようにというお達しが出ている。近所のおそらく唯一と思われるこうした足軽のご子孫であるお年よりに聞くと、妻は髻を結ぶ紙縒りづくりの内職をしたりして乏しい家計の足しにする、そういうぎりぎりの貧乏暮らしであっただろうということであった。これはどこの藩の下級武士でもその生活実態は似たりよったりで、「武士は喰わねど高楊枝」というようなやせ我慢に近い武士としての誇りはあっても、水呑み百姓と変わらない、あるいはそれ以下の生活を強いられていたと言って良いだろう。

しかも脱藩はご法度である。今ならブラック企業に、終身雇用を餌に食うや食わずの給与で生涯縛り付けられている状態を想像したら良い。その仕事はお城ができたらその警護役が主な内容であったと先のお年寄りが言っていた。もっと上級の武士なら日が昇り日が沈むまでお城に登城してのお勤めだったのだろが、こうした下級武士には夜間警備のような今でいえば時間外の辛い仕事ばかり割り与えられていたかもしれない。郷土史家の本を読むと、江戸初期にたびたび起こった下級武士の反乱について書かれている。重臣達が居住する地区の道路開削に従事させられていた一団の反乱もそのひとつである。

足軽といえど曲がりなりにも士分のはずである。戦国時代には活躍のいかんによっては重用されることもあったであろう。それが城普請を始め、城下の整備に毎日駆り出されて、土を掘ったり、もっこを担いだり、汗みどろになって働かされていたものと思われる。言うならば土方だ。だから相当の不満やストレスがあったのだと思う。しかもこれは戦陣での架設工事ではない。今も道路の路肩に残る大きな土留めの石組みを見ると、大変きつい仕事であったと想像される。ちょうどその時、馬に跨って上級武士が通ったのだという。ふと見ると一人背を向けて寝そべっている者がいる。「不埒者!」というわけで馬上から槍で突いた。これが反乱の発端となった。

寝そべっていた者とて、サボっていたのではなくしばしの休憩をとっていたのかもしれない。それを上級武士といえど理由を聞く間もなく槍で突くとは無礼千万と、日頃から蓄積していた鬱憤がこの出来事を機に爆発した。2百人近くが一斉に土方仕事を投げ出して、「待遇改善」を掲げたかどうかは分からないが、近くの寺に立てこもった。折悪く殿様は留守であった。留守番役は、輝かしい戦歴を持つ家老職が担っていた。平和な時代となって間もない時である。まだ戦時の猛々しさが残っていたのかもしれない。すぐさま鉄砲隊を繰り出して寺を囲み、砲火を浴びせかけて全員殺害した。

その他にも徳川綱吉の時代、職を失った鷹匠たちが城下を見下ろす山に立てこもったこともあったようだ。上のような最悪の結果にはならずとも、その結果、首謀者は切腹、あとは所払い、言うなれば首ということになったのだろう。運良く残った者とて、薄給に甘んじ、赤貧洗うがごとくの暮らしが江戸の終わりまで続いたのだと思う。それぞれ果樹を植えて養いの足しにするようにとのお触れが残っているぐらいだから、藩主も窮状は承知していたのだろう。お内儀たちは丁髷のもと取りを束ねる紙縒づくりに精を出して家計を支えていた、という話も足軽のご子孫であるお年より伺った。

さて今では考えられないくらいの貧乏暮らしだったと思うが三百年近く続いた太平楽にも終わりの時が来た。(続く)