「2017XファクターUK」期待のひとり

ゴット・タレントといっしょに毎年チエックしているXファクター。まだ4人の審査委員の前で歌って彼らのボートで決める最初の段階だが、今年の応募者は例年より期待できそうだ。その中でもこの女性Shanaya Atkinson-Jones(19)は歌がうまいだけではない、魂の深いところから出ているようなディープな声質を持っている点で、他に抜きん出ていると思う。小さいときに養子に出されたという辛い過去が背景にあるのかもしれない。唯一のライバルは切実な感情を織り込んだオリジナル曲を持って臨んだ女性Grace Davies(20)かなあと思っている。それにしても近年はみんな若い。

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 さて後日談。残念ながらShanaya は6チェアーを奪い合うステップで

あえなく消えた。音程はくずれるは、エモーションも空回りして、ひどい出来であった。残りたいとの欲が、彼女の唯一の持ち味であった魂から出ているような歌声の魅力をまったく消し去っていた。

一方のグレースは、オリジナル曲を次々披露してライブショーの3回まで勝ち残っている。次は彼女に期待するか。

足軽の住んだまち

私の今住んでいるところはかって足軽が住んだ町である。江戸初期の地図を見ると、うなぎの寝床のような間口の狭い土地が袋状の土地を綺麗に割って配置されている。当時の建物は全く残ってないが、土地形態にその面影が残っているところがあり、わずかに当時を偲ばせるよすがとなっている。戦乱の世が終わり、ここに移ってきた殿様がそれまでついて来た足軽に褒賞として与えた土地である。殿様としてみれば今まで苦しい中ついて来た、足軽といえ忠義な家臣を解雇することはできなかったのであろう。

しかし、おそらく平和な世にあっては余剰人員だったはずだから、足軽に与えられたのは最低の扶持であっただろう。足りない分は各々果樹を植え、畑をつくって賄うようにというお達しが出ている。近所のおそらく唯一と思われるこうした足軽のご子孫であるお年よりに聞くと、妻は髻を結ぶ紙縒りづくりの内職をしたりして乏しい家計の足しにする、そういうぎりぎりの貧乏暮らしであっただろうということであった。これはどこの藩の下級武士でもその生活実態は似たりよったりで、「武士は喰わねど高楊枝」というようなやせ我慢に近い武士としての誇りはあっても、水呑み百姓と変わらない、あるいはそれ以下の生活を強いられていたと言って良いだろう。

しかも脱藩はご法度である。今ならブラック企業に、終身雇用を餌に食うや食わずの給与で生涯縛り付けられている状態を想像したら良い。その仕事はお城ができたらその警護役が主な内容であったと先のお年寄りが言っていた。もっと上級の武士なら日が昇り日が沈むまでお城に登城してのお勤めだったのだろが、こうした下級武士には夜間警備のような今でいえば時間外の辛い仕事ばかり割り与えられていたかもしれない。郷土史家の本を読むと、江戸初期にたびたび起こった下級武士の反乱について書かれている。重臣達が居住する地区の道路開削に従事させられていた一団の反乱もそのひとつである。

足軽といえど曲がりなりにも士分のはずである。戦国時代には活躍のいかんによっては重用されることもあったであろう。それが城普請を始め、城下の整備に毎日駆り出されて、土を掘ったり、もっこを担いだり、汗みどろになって働かされていたものと思われる。言うならば土方だ。だから相当の不満やストレスがあったのだと思う。しかもこれは戦陣での架設工事ではない。今も道路の路肩に残る大きな土留めの石組みを見ると、大変きつい仕事であったと想像される。ちょうどその時、馬に跨って上級武士が通ったのだという。ふと見ると一人背を向けて寝そべっている者がいる。「不埒者!」というわけで馬上から槍で突いた。これが反乱の発端となった。

寝そべっていた者とて、サボっていたのではなくしばしの休憩をとっていたのかもしれない。それを上級武士といえど理由を聞く間もなく槍で突くとは無礼千万と、日頃から蓄積していた鬱憤がこの出来事を機に爆発した。2百人近くが一斉に土方仕事を投げ出して、「待遇改善」を掲げたかどうかは分からないが、近くの寺に立てこもった。折悪く殿様は留守であった。留守番役は、輝かしい戦歴を持つ家老職が担っていた。平和な時代となって間もない時である。まだ戦時の猛々しさが残っていたのかもしれない。すぐさま鉄砲隊を繰り出して寺を囲み、砲火を浴びせかけて全員殺害した。

その他にも徳川綱吉の時代、職を失った鷹匠たちが城下を見下ろす山に立てこもったこともあったようだ。上のような最悪の結果にはならずとも、その結果、首謀者は切腹、あとは所払い、言うなれば首ということになったのだろう。運良く残った者とて、薄給に甘んじ、赤貧洗うがごとくの暮らしが江戸の終わりまで続いたのだと思う。それぞれ果樹を植えて養いの足しにするようにとのお触れが残っているぐらいだから、藩主も窮状は承知していたのだろう。お内儀たちは丁髷のもと取りを束ねる紙縒づくりに精を出して家計を支えていた、という話も足軽のご子孫であるお年より伺った。

さて今では考えられないくらいの貧乏暮らしだったと思うが三百年近く続いた太平楽にも終わりの時が来た。(続く)

 

気になっていた「三島由紀夫論」

長らく積ん読になっていた橋本治三島由紀夫論(「三島由紀夫」とは何者だったか)を読んだ。作者は例の橋本節でややこしく長々と書いているが、(彼の文章は頭脳への滞留時間が長いのでときどき息が苦しい)あえて流行りのパトグラフィー用語を用いれば、三島は「発達障害」であったということだろう。本来なら旺盛な生活欲に満ちた社会からははじき出されて生きる人たちなのだが、天才ゆえに社会の表舞台に引っ張り出されてしまった人たちが少なからずいるものである。まれに見る頭脳に文才が加わり、十代で「花ざかりの森」を書いて瞬く間に文壇の寵児となった三島もその一人なのだろう。

橋本は三島の「仮面の告白」を執拗に取り上げて、奇妙な歪んだ論理を指摘する。作家は自叙伝を書くものだという習いに従って書いた。しかし、これは三島由紀夫の自叙伝ではないのだという。なぜなら作家がどこにも出てこないから。では平岡公威の自伝かというと「三島由紀夫」という仮面の下には「平岡公威」という肉=実体はないからそうではない。ではこの小説は何なのか。「虚」の自伝ということになる。

このようなややこしい論理の煙幕、ミスチフィカシオンは「豊穣の海」四部作まで三島の小説の随所出てくる。それを丁寧に解きほぐして非神話化する手口は橋本ならではのものだ。「仮面の告白」の論理そのままに、三島は結局最後まで現実の他者に出会うことがなかった。どこまでも一人舞台であった。盾の会の若い隊員を率いる表向きの姿とは裏腹に彼は最後まで孤独であった。

1970年、三島が市ヶ谷の自衛隊駐屯地に突入し自決したその時、ちょうど食卓をゴキブリが這うような汚い中華屋でラーメンをすすっていた。何気なく見上げて見たテレビではちょうど三島の騒動を中継しており、事が終わった総監室が映されていた。カメラはごろり転がった三島の首を捉える。それは翌日の新聞にも載せられていたと記憶しているが、その顔は何か真理に近いものを得た者の意志的で確信的な表情ではなかったように思う。なにか「しまった」というような感じの表情のように思えた。ここで初めて三島は、自意識ではどうにもならない生身の他者に出会ったのではないか、そう思える。

「かさぶた」としての日本の「近代」

昔からなぜ江戸時代を近世と呼ぶのか気になっていた。本当は近代と呼んでいいと思うのだが、欧米の定義には当てはまらないので、近世と呼んでいるのだろう。さらにそうした欧米にオーソライズされた基準を使いながら、明治を江戸と明確に区別したいというバイアスが強烈に働いている。

しかし、国のメインストリームにいて、それで自らエスタブリッシュメントとしてのビジネスモデルを作ろうという人(最もピュアな気持ちでいる人もいるだろうが)はそれでいいのだろうが、大方の庶民はそれに違和感を持ちつつも、「ざんぎり頭を叩いて見れば文明化開花の音がする」などと戯れ歌を歌いつつ表層では時勢に合わせていくそぶりを見せねばならない。

それを問題視するのはエリート層に座るだけの頭脳を持ちながら、そこからずれてしまった孤独なアウトサイダーということになる。誰でも知っている人物をあげれば「夏目漱石」が典型だろう。英国への留学体験を持つ彼はこの明治の嘘に早くから気づく頭を持っていたが、出口なき違和感を克服できない課題として胃病を患いつつぐだぐだと問い続けるばかりだったということだろうか。

それは一種のカサブタだった。カサブタだから怪我が癒えると自然に落ちてしまう。しかし、カサブタのときに作られたインチキの制度や体制ではどうにもならない。だから最終的には露出した第一古層である江戸は、外圧で大きな傷を負うことになる。戦後も別の意味でのカサブタだった。だが戦争の傷の上に出来たカサブタもそろそろ賞味期限を迎えつつある。

だからと言って日本独自の実によく出来た江戸の近代システムに戻れるかというと無理な話だ。富裕層の知識人の中に安易に江戸を理想化する人がよくいるが、無責任だと思う。開府当時はさておき、やがて何度も飢饉に襲われへろへろな経済状態になって大政奉還しなければならなくなった現実が分かっているのだろうか。まあ自分の既得権はそのままだと思っているからだろうが。

江戸時代は、西洋諸国と同様、しかし、よりシステマチックに宗教的本質を脱色し、慣習化する中で生まれたものだ。理神論に基づく(だから鬼神のことは問わずを前提とした儒教が主軸になった)人間の知恵の働きによって保たれた社会だ。それも西洋とは違うまったくの独自のシステムが機能していたのには驚かされる。

その点、明治や昭和はカサブタだ。そのインチキはやがて通用しなくなるが、さてその次はとなると誰も描けない。これは欧米も実は同じで、我々は本当はそうした深刻な状態、いわばヒューマニズムの終わりの状態に生きている。そろそろ放蕩息子は神に大政奉還すべきなのだろうか。

いずれにしろ日本人の意識を変える第一歩は、西洋への劣等感から生まれたような江戸時代=近世という曖昧な表記をやめて、江戸時代=近代としっかり位置づけ直して、どこが西洋近代とは違うのかを明確にしないかぎり、本質的な問題の所在も見えてこない。

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大正時代の雑誌より「銀座のカフェ」田舎娘のあこがれ。

今日も世界ではシュールな出来事が起こってる。

ボーイフレンドのアパートを初めて訪れた女性が出会ったとんでもない出来事。ささいなことが大事となって消防士まで出動するまでの大騒ぎ、ギャグ漫画のようなことと成った。もっともボーイフレンドがソーシャルメディアに載せてファンドをつのったおかげで十分その費用はペイできて、さらに関係団体に寄付までできて、めでたしめでたしとなったようだが。

絶対既製のメディアでは配信されることがなかったこういう他国の三面記事的エピソードにまで、インターネットを通して日常的に簡単に触れられる効果というのは案外大きいと思う。こういうネット空間に無数に転がっている三面記事やユーチューバー動画は確かにロクでもないものもたくさんあるが、今まで書物を通してしか知りえなかった西洋事情の情報や知識なぞ、西洋知識人と同レベルと思い込んでいる、田舎者の産物であり、エリート意識を隠した一面的なカテゴライズでしかないことがよく分かるようになった。

それはトランプの出現に驚くアメリカの内情とも通じていて、今まで隠れていたもの言わぬ民の声が、吉本隆明の好きな言葉を使えば「大衆の原像」がにわかに表に出てきてしまって、エリートの偽善を暴きつつ、政治情勢も左右することとなったのだ。それをポピュリズムやナチズムという揶揄的視点でしか表し得ないのは、アリストクラシーと化した既得権者の自己批評を欠いた、怠慢で情けない意見だ。

話が飛んでしまったが、こういう記事を読むと、頭で形づくった高尚な思想や観念(それがどれだけ人間に悲惨をもたらしているか)をひっぺがすと人間の実情はどこでも同じだなと思う。世界平和なんて言うのも、実は知識人が絶対語らないこのろくでもない、ばかばかしい場所から始めなければならない。