アメリカンゴットタレント 今年一番の優勝候補だと思う

ブリティッシュゴットタレントは、Brexitの後つまらなくなった。人々の反応は正直でアメリカンゴットタレントの方が格段に人材が集まっている。

5年前に突然倒れお母さんの腎臓の移植手術を受けて蘇生したANGELICA HALE、9歳の小さな少女のアメージングな声 を聞いて感動した。音楽はもちろん芸術が心と魂から出てることを確信させられる力強い歌声だ。聖書にもモーゼの時代、十戒の板を収め、神と人が親しく交わる幕屋をつくるために「心に知恵」を持った職人が選ばれたと出てくる。日本では「頭に知恵」を持った「アーティスト」ばかりだもんなあ。

https://www.youtube.com/watch?v=b1NVOsatpF0&t=2s

https://www.youtube.com/watch?v=-RjJLXY0BwQ

 

壊れた人たち

最近、二人の女性芸能人が夫または元夫をめぐる過激なブログ発信でマスコミを騒がせている。うちはテレビがないのでワイドショーは見ることができないが、ネット記事を見てるだけでもそのバカバカしい過熱ぶりは伝わってくる。いわゆるプライバシーの暴露合戦で、スキャンダルジャーナリズムの格好の餌食になっているわけだが、ご本人たちは非難の対象は悪魔のような存在だが、自分はいたって正常で正しいと思っているのが怖い。

その過激な言動を見ていると明らかに精神の病としか思えない。大学で心理学の講座を取った程度の知識でも分かるが、一方は双極性障害、もう一方はパラノイアの典型例なのではないか。病識がないところが病の重さを物語っている。その狂気をもう存分に思い知らされていて、聞くに堪えない嘘を言われても反論を控え、ただひっそりとしているしかない家族たちが気の毒だ。

本来ならさらに怖いことにならないうちに、専門医の目の届くしかるべきところに隔離して十分な治療と静養が必要なのだが、そうかんたんに格好の飯のタネを見つけたマスコミは離してくれない。またそれぞれにたくさんの支持者がいて2人を焚きつけて、自分たちのルサンチマンを解放している有様。だからこの狂気は本人たちがやがて倒れるまで野放しになっている。

ブログやツイッターなど個人でも自由に扱えるネット媒体がかっては見えなかった人間の狂気を顕在化させたとも言える。彼女たちはたたまたまスターだから注目されただけのこと。背後には数え切れない表面上は見分けがつかないが、同種の病を負った人たちがいる社会に私たちは生きている。それらが大きな狂気の渦となって、長らく表面上は太平を享受してきたこの社会にカタストロフィーを呼びこむものとならねばと思う。

経歴に騙されて本を読むときは

人間の脳力の働かし方は狭い範囲にフレーミングすることから始まる。このフレーミングは信念や感情しか根拠がない。しかし、このフレーミングの範疇で考え抜かれ緻密になった理論はその中においては誰にも否定できないもののように思える。頭の良いほとんどの学者や専門家は所詮このフレーミングの達人。だから一般人はすぐ騙されるが、しかし、何の根拠もないし、あっさり予想を超えた現実の事態に接して崩壊してしまうたぐいのものだ。なぜならそれは頭の創作によるファンタジーに過ぎないから。不幸なのは優秀と言われ続けてきた彼らには自己批評能力が欠けていること。たいていは賢いと思うことが自分を見えなくしている。これを本当のバカという。世の中の知識人はこのバカとずるい人間(それに気づいて演技する詐欺師)の2種類でほとんどを占める。ああ、もう一つあった。詐欺が成功して、ずるいが進化すると偽善にならざるえない。さて、知的エリートの本を読むときは著者はこの3種のどれか?というのがいつも頭にある。

「忖度」という言葉に見る日本人を不幸にする「空気」の存在

最近マスコミで文部官僚が使った「忖度」という言葉がひとしきり話題になった。別の言葉で置き換えれば「空気を読む」ということだろうか。かつて「人間を幸福にしない日本というシステム」(カレル・ヴァン・ウォルフレン)という本がベストセラーになったことがあるが、ここで日本社会を牛耳っているとされている官僚システムを、さらに精神的な面で支配しているのが、この「忖度」=「空気」という存在だ。いうなれば前者のシステムと後者の精神が合体し、二重の圧力で日本人を不幸にしていると言えるだろう。

この見えない「空気」が、先の大戦では日本に悲惨な結果をもたらした。南方戦線での苦難を経験した山本七平は、そこで150万を越える将兵を無益な死へ追いやったこの「空気」なるものの正体を明らかにすることを死者への慰霊として、戦後の表向きの繁栄に目くらまされている日本人の中で孤独な戦いを続けた著述家だが、その営為なぞ蚊に刺されたほどの影響を与えず、その「空気」の支配は今も微動だに揺るがされずに続いているかのようだ。これが変えられない限り日本人は、今度は戦争によってではなくても、また再び同じような破滅に直面することになるとの危懼が山本の著述活動を駆り立てていたと思うのだが。

これは時に「和」という言葉にすり替えられたりもする。日本の企業の社是を調べれば一変に分かると思うが、今もおそらく多くの企業がこの「和」という言葉を取り入れている。これは聖徳太子の十七条の憲法の「和を以て貴しと為す」から来ている、古代からある日本人の美徳と誇らしげに説明されるだろう。しかし、この「和」というのが本当の意味で健やかに成立するためには、すべての人にアプリオリに付与されている「共通感覚」への信頼、ありていに言えば神への信仰がなければならない。聖徳太子の時代には、また少なくても聖徳太子の胸のうちにはそれがあったのだろう。しかし、そうでなければ「和」は個人への抑圧、異分子の排除としてネガティブにしか働かないと思う。

欧米の法は、元来この人間を超えた神の支配への信仰が法的な支配へと延長されたものであろう。だから多くの者が教会から離れた今も、このDNAがあるから法はどこかで神の権威と結びついて拘束力を持っている面があるのだろう。ところが江戸時代の巧みな非宗教化を伴う近代化の過程を経ている日本では、法すらも方便でしかない。だから、やすやすと暗黙の了解のうちに法を無視したことがまかり通ってしまう。中小の企業で働く庶民が直面する卑近な例では、表向きは「就業規則」という法があっても、そして時に行政の指導が入ろうとも、なきがごときになってしまう法の現実を見ることができる。マスコミの力を借りて遠山の金さんばりに悪い経営者を叩いて溜飲を下げれば、ブラック企業がなくなるという単純なことではない。

法的な規制すらもずぶずぶと無効化してしてしまうのは、やっかいなことには従業員の間から立ち上ってくる無神論的「和」の空気だからだ。このある意味ボトムアップの「民主主義」が暗黙の圧力となって、時には従業員を過労死させもし、また、そこまで行かなくても従業員個々の自主性や創造性を奪ってしまう。むしろその中では、忖度が上手な「和を乱さない」人間が生き残って管理職になっていく。そこでは東大出の賢かった人間も、世界にまれな終身雇用のシステムの中で、ずる賢くなることが生き残る道だと悟って、結局は能力的には劣化の道を免れない。だから最終的には馬鹿か、ずる賢い人間という、二分法でしか語れない悲惨な職場環境になってしまう。

こんな企業では、グローバル化の波をかぶればひとたまりもあるまい。そのような企業が生き残るためには、ロビー活動により、常に自由競争に意を唱え既存の利権を守るしかないわけだが、国全体として見れば、この時代に自由競争を閉ざす鎖国は不可能なのであるから、またその特異な後進性は伝統芸能ならまだしも輸出するわけにもいかないから、その行くすえは、官僚支配にますます依存して分配を求め、官僚を太らせる行政国家となり、その結果、国民の生産力は衰える一方で、人々がひとしなみに貧しくなり、今もそうだが国は借金にあえぎ衰退していくの必然のように見える。

 

 

今夜は土筆の天ぷら

やっと春らしい陽気になって、5時起き、娘と妻の弁当作りの合間、朝のウォーキングを再開。見ると河原端に土筆がたくさん顔を出していたので摘んできた。急に暖かかくなって一気に出てきたのだろう。ラジオの語学講座を聞きながら一本一本ハカマをとった。 40分近くかかり面倒くさかったけど、酢を入れて茹でたら美味しそうなピンク色に変わった。今日の夕飯に春野菜といっしょに天ぷらにしよう!

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