峠の茶屋 ヨネジーの覚書

峠の茶屋でのゆっくり一服どころか、茶漬けを掻き込んで次の目的地に向かう飛脚さながらの人生。90パーセントがカスかもしれないけど(娘に言わせりゃ100%カス)息が続く限り書き続けていきます。

ヨネジーの猫さんニュース10

www.youtube.com

これは一体何の意味があるのでしょう。究極の猫ナンセンス。

 

www.youtube.com

レタスがクール!Donkat Tramp

ヨネジーの猫さんニュース9

www.youtube.com

やはりナムナムナム言ってる。猫さんの万国共通語だね。

 

www.youtube.com

撮影の舞台裏です。猫サイズのセットを作っての大掛かりな撮影だったんだね。

ヨネジーの猫さんニュース8

www.youtube.com

わあう、にゃうにゃうにゃう。わがいい。なむなむなむなむ。

ヨネジーの猫さんニュース7

花より餌だにゃん。「あしゅとりーに、いー。」このキンキラのロシア語(?)の歌声も面白い。

 

「2017XファクターUK」期待のひとり

ゴット・タレントといっしょに毎年チエックしているXファクター。まだ4人の審査委員の前で歌って彼らのボートで決める最初の段階だが、今年の応募者は例年より期待できそうだ。その中でもこの女性Shanaya Atkinson-Jones(19)は歌がうまいだけではない、魂の深いところから出ているようなディープな声質を持っている点で、他に抜きん出ていると思う。小さいときに養子に出されたという辛い過去が背景にあるのかもしれない。唯一のライバルは切実な感情を織り込んだオリジナル曲を持って臨んだ女性Grace Davies(20)かなあと思っている。それにしても近年はみんな若い。

www.youtube.com

www.youtube.com

 さて後日談。残念ながらShanaya は6チェアーを奪い合うステップで

あえなく消えた。音程はくずれるは、エモーションも空回りして、ひどい出来であった。残りたいとの欲が、彼女の唯一の持ち味であった魂から出ているような歌声の魅力をまったく消し去っていた。

一方のグレースは、オリジナル曲を次々披露してライブショーの3回まで勝ち残っている。次は彼女に期待するか。

足軽の住んだまち

私の今住んでいるところはかって足軽が住んだ町である。江戸初期の地図を見ると、うなぎの寝床のような間口の狭い土地が袋状の土地を綺麗に割って配置されている。当時の建物は全く残ってないが、土地形態にその面影が残っているところがあり、わずかに当時を偲ばせるよすがとなっている。戦乱の世が終わり、ここに移ってきた殿様がそれまでついて来た足軽に褒賞として与えた土地である。殿様としてみれば今まで苦しい中ついて来た、足軽といえ忠義な家臣を解雇することはできなかったのであろう。

しかし、おそらく平和な世にあっては余剰人員だったはずだから、足軽に与えられたのは最低の扶持であっただろう。足りない分は各々果樹を植え、畑をつくって賄うようにというお達しが出ている。近所のおそらく唯一と思われるこうした足軽のご子孫であるお年よりに聞くと、妻は髻を結ぶ紙縒りづくりの内職をしたりして乏しい家計の足しにする、そういうぎりぎりの貧乏暮らしであっただろうということであった。これはどこの藩の下級武士でもその生活実態は似たりよったりで、「武士は喰わねど高楊枝」というようなやせ我慢に近い武士としての誇りはあっても、水呑み百姓と変わらない、あるいはそれ以下の生活を強いられていたと言って良いだろう。

しかも脱藩はご法度である。今ならブラック企業に、終身雇用を餌に食うや食わずの給与で生涯縛り付けられている状態を想像したら良い。その仕事はお城ができたらその警護役が主な内容であったと先のお年寄りが言っていた。もっと上級の武士なら日が昇り日が沈むまでお城に登城してのお勤めだったのだろが、こうした下級武士には夜間警備のような今でいえば時間外の辛い仕事ばかり割り与えられていたかもしれない。郷土史家の本を読むと、江戸初期にたびたび起こった下級武士の反乱について書かれている。重臣達が居住する地区の道路開削に従事させられていた一団の反乱もそのひとつである。

足軽といえど曲がりなりにも士分のはずである。戦国時代には活躍のいかんによっては重用されることもあったであろう。それが城普請を始め、城下の整備に毎日駆り出されて、土を掘ったり、もっこを担いだり、汗みどろになって働かされていたものと思われる。言うならば土方だ。だから相当の不満やストレスがあったのだと思う。しかもこれは戦陣での架設工事ではない。今も道路の路肩に残る大きな土留めの石組みを見ると、大変きつい仕事であったと想像される。ちょうどその時、馬に跨って上級武士が通ったのだという。ふと見ると一人背を向けて寝そべっている者がいる。「不埒者!」というわけで馬上から槍で突いた。これが反乱の発端となった。

寝そべっていた者とて、サボっていたのではなくしばしの休憩をとっていたのかもしれない。それを上級武士といえど理由を聞く間もなく槍で突くとは無礼千万と、日頃から蓄積していた鬱憤がこの出来事を機に爆発した。2百人近くが一斉に土方仕事を投げ出して、「待遇改善」を掲げたかどうかは分からないが、近くの寺に立てこもった。折悪く殿様は留守であった。留守番役は、輝かしい戦歴を持つ家老職が担っていた。平和な時代となって間もない時である。まだ戦時の猛々しさが残っていたのかもしれない。すぐさま鉄砲隊を繰り出して寺を囲み、砲火を浴びせかけて全員殺害した。

その他にも徳川綱吉の時代、職を失った鷹匠たちが城下を見下ろす山に立てこもったこともあったようだ。上のような最悪の結果にはならずとも、その結果、首謀者は切腹、あとは所払い、言うなれば首ということになったのだろう。運良く残った者とて、薄給に甘んじ、赤貧洗うがごとくの暮らしが江戸の終わりまで続いたのだと思う。それぞれ果樹を植えて養いの足しにするようにとのお触れが残っているぐらいだから、藩主も窮状は承知していたのだろう。お内儀たちは丁髷のもと取りを束ねる紙縒づくりに精を出して家計を支えていた、という話も足軽のご子孫であるお年より伺った。

さて今では考えられないくらいの貧乏暮らしだったと思うが三百年近く続いた太平楽にも終わりの時が来た。(続く)

 

広告を非表示にする

気になっていた「三島由紀夫論」

長らく積ん読になっていた橋本治三島由紀夫論(「三島由紀夫」とは何者だったか)を読んだ。作者は例の橋本節でややこしく長々と書いているが、(彼の文章は頭脳への滞留時間が長いのでときどき息が苦しい)あえて流行りのパトグラフィー用語を用いれば、三島は「発達障害」であったということだろう。本来なら旺盛な生活欲に満ちた社会からははじき出されて生きる人たちなのだが、天才ゆえに社会の表舞台に引っ張り出されてしまった人たちが少なからずいるものである。まれに見る頭脳に文才が加わり、十代で「花ざかりの森」を書いて瞬く間に文壇の寵児となった三島もその一人なのだろう。

橋本は三島の「仮面の告白」を執拗に取り上げて、奇妙な歪んだ論理を指摘する。作家は自叙伝を書くものだという習いに従って書いた。しかし、これは三島由紀夫の自叙伝ではないのだという。なぜなら作家がどこにも出てこないから。では平岡公威の自伝かというと「三島由紀夫」という仮面の下には「平岡公威」という肉=実体はないからそうではない。ではこの小説は何なのか。「虚」の自伝ということになる。

このようなややこしい論理の煙幕、ミスチフィカシオンは「豊穣の海」四部作まで三島の小説の随所出てくる。それを丁寧に解きほぐして非神話化する手口は橋本ならではのものだ。「仮面の告白」の論理そのままに、三島は結局最後まで現実の他者に出会うことがなかった。どこまでも一人舞台であった。盾の会の若い隊員を率いる表向きの姿とは裏腹に彼は最後まで孤独であった。

1970年、三島が市ヶ谷の自衛隊駐屯地に突入し自決したその時、ちょうど食卓をゴキブリが這うような汚い中華屋でラーメンをすすっていた。何気なく見上げて見たテレビではちょうど三島の騒動を中継しており、事が終わった総監室が映されていた。カメラはごろり転がった三島の首を捉える。それは翌日の新聞にも載せられていたと記憶しているが、その顔は何か真理に近いものを得た者の意志的で確信的な表情ではなかったように思う。なにか「しまった」というような感じの表情のように思えた。ここで初めて三島は、自意識ではどうにもならない生身の他者に出会ったのではないか、そう思える。